
修善寺温泉場から少し上った山あいの地区を「紙谷(かみや)」といい、その昔、この里で漉かれた良質な紙は「修善寺紙」として全国に名が通っていました。
特徴的な薄紅色をしていたこともあり、古くは「いろよし紙」や濃染紙(こせんし)とも呼ばれ、紫式部日記や平家物語にその名が出てきており、源頼朝が伊豆から平氏打倒の旗揚げをした際に関東八州の武士に送った檄文には修善寺紙が使われていたとも言われています。
その後、徳川家康が駿府城を築城するにあたり、紙谷の三須文左衛門が城下に招かれ、その腕前を披露し、慶長3年(1598年)には徳川家康が文左衛門に紙漉きの権限に関する黒印状を与え、修善寺紙を奨励し、江戸時代には幕府の御用紙(幕府専用の紙)として採用されていました。
紙谷和紙工房で活動する「修善寺紙を再現する会」では、湧水を使用した昔ながらの製法でこの修善寺紙を現代に伝え、100%地元産の修善寺紙の製作に向け、原料となる三椏の植樹やトロロアオイの栽培にも取組んでおります。
また、修善寺小学校の6年生は紙すきに適した冬になると、「修善寺紙を再現する会」のサポートのもと、自分の卒業証書を漉いています。
和紙はその伝統や工程にふれ、手にとり、使用していただくことで、さらにその価値を実感していただけるものだと思います。皆さまにとって修善寺紙が暮らしを豊かにするための何かのお力沿いになれれば幸甚です。
私たち修善寺紙を再現する会では、このような修善寺紙の文化を次世代に継承するため、一緒に活動する会員を募集しています。興味のある方は下記までお問い合わせください。
修善寺紙を再現する会


